有人宇宙飛行の歴史 ② アメリカ合衆国
1961年4月ソビエト連邦のガガーリンを乗せた宇宙船が地球を周回して人類史上初の宇宙飛行を成功させ、世界にそしてアメリカ合衆国に大きな衝撃を与えたわずか3週間後の5月5日、アメリカ合衆国はアラン・シェパードを乗せた宇宙船マーキュリー№7(通称フリーダム7)が初めての有人宇宙飛行を成功させた。ただしこれは地球を周回する軌道ではなくいわゆる弾道飛行となったが、アメリカ合衆国としては初めての有人宇宙飛行となり、その後の周回軌道の成功へつながった。その背景を確認していこう。
ちなみに弾道飛行とは~
弾丸飛行とは地球の周回軌道に達しない飛行のこと。第一宇宙速度と呼ばれる(28,400 km/h)を超えないと地球の周回軌道には達しないので、それ未満の速度となる。発射地点から着水地点までの距離も数百km程度となる。
補足として第一宇宙速度は地球の周回軌道を飛行するための速度であるが、第二宇宙速度は地球の重力を振り切るために必要な、地表における初速度であり40,300 km/hとなり、この速度以上に加速すれば永久に地球から離れていくことができる。さらに第三宇宙速度は地球または太陽の重力を振り切るために必要な速度で、60,100 km/hである。この速度に達するには膨大なエネルギーが必要になるため、惑星探査機などでは、いわゆるスイングバイを利用して加速することになる。
アメリカ合衆国初の有人宇宙飛行計画 マーキュリー計画
1956年~1963年まで行われたアメリか初の有人宇宙飛行計画である。マーキュリー計画としては合計6回の打ち上げをしておりそのすべてが成功している。マーキュリーとはローマ神話の「旅」の神の名前からつけられ、この神は翼の生えた靴を履き高速で移動するということである。
初めての有人宇宙飛行は弾道飛行で飛行時間は15分22秒
計画開始から5年後の1961年5月、初めての有人宇宙飛行としてアラン・シェパードを乗せた宇宙船が打ち上げられ弾道飛行をして帰還した。これはマーキュリー・レッドストーン3号という計画名がついている。飛行時間は15分22秒、最高速度は時速8,340km、最高高度は187.5km、飛行距離は486kmで、発射場のフロリダ州オーランド付近に突き出た島のような地形にあるケープカナベラル空軍基地第5発射施設から約240km離れた北大西洋沖に着水した。打ち上げの様子はテレビで放映され全米で約4500万人が視聴したと言われる。
シェパードの弾道飛行から見える景色はガガーリンのような地球周回軌道ではないので、「地球は青かった」ということではなく「ほとんど雲で覆われていて海岸線や島や大きな湖が見分けることができる」ということであった。
その後2回目の弾道飛行としてマーキュリー・レッドストーン4号が約2か月後に打ち上げられ成功している。
アメリカが初めて有人での地球周回軌道飛行を成功
そして3回目の打ち上げ計画として1962年2月20日、ついにアメリカ初の有人の地球周回軌道飛行を成功させる。計画名はマーキュリー・アトラス6号(通称フレンドシップ7)である。アトラスとはギリシャ神話で、巨人の神の一つを意味する。 ちなみに大西洋のthe Atlantic Oceanもアトラスに由来する。
宇宙飛行士は海兵隊所属のジョン・ハーショル・グレン。飛行時間は4時間55分23秒、地球を3周した。最高高度は261km、最高速度は時速28,234km、マッハに例えるなら23となるが、一般的な軍用機でマッハ1、世界最速機でもマッハ6.7と言われているのでそのスピードがいかに速いかがわかる。
予定の着水地点誤差が74kmとだいぶ誤差が生じたように思われるが、次の4回目の打ち上げ機は地球周回は同じく3周であったが予定着水地点誤差が400kmとなっている。それでも5回目、6回目の打ち上げでは着水地点誤差は7~8kmと修正できている。
ちなみに5回目では地球を6周しているが、6回目では地球を22周もしている。
そもそもアメリカはなぜ有人宇宙飛行を行うことになったのか
ソビエト連邦の打ち上げ計画同様に、冷戦下でのソビエト連邦との技術開発競争の一つとして宇宙開発競争が焦点となった。アメリカの目標はソビエト連邦よりも先に打ち上げ計画を成功させることであったが、わずかに出遅れる結果となった。
有人宇宙飛行成功の前には失敗・無人飛行・動物でのテストなどを行う
最初の計画として1959年のリトル・ジョー1号計画がある。これは電気系統の故障などで打ち上げは失敗に終わっている。その後耐熱保護板の性能や空力特性試験などのために無人機を打ち上げ、5度目の試験として「サム」という名のアカゲザルを搭乗させて試験をしている。その後もサルやチンパンジーを乗せて打ち上げ試験を行っている。
有人宇宙飛行の数週間前にはロボット飛行士を搭乗させて打ち上げ試験を行っている。このロボットは人の宇宙飛行士と同じ体温や水蒸気、二酸化炭素を発生させるようにプログラムされたものである。
このような様々な試験を行い、有人弾道飛行の前には17回の打ち上げ試験を行い、有人周回軌道飛行までには合計20回もの打ち上げ試験を行ったことになる。
アメリカ合衆国 初の有人宇宙飛行の歴史まとめ
初めての有人宇宙飛行はマーキュリー計画で6回すべてを成功している
アメリカの有人宇宙飛行の目的も、もとはソビエト連邦との技術開発競争の一つである
打ち上げ試験には、無人・動物・ロボットを使用して段階的に何回も試験をしていた