「うちの親も気づけば80代。世間では敬老の日というけれど、今まで一度も祝ったことがないし、今さらどうしよう…」
自分自身も50代になり、親も80代。カレンダーやニュースで「敬老の日」の文字を見るたび、ふと「何かしたほうがいいのかな」と罪悪感のような迷いが生まれることも。
しかし、結論から言うと「高価なプレゼント」や「仰々しいお祝い」は我が家では一切不要。
これまで敬老の日を一切祝ってこなかった我が家がたどり着いた、元気な80代の親が一番喜ぶ「本当のプレゼント」について、リアルな実例として記録しておこうと思う。
前提として「今まで一度も敬老の日を祝ってこなかった」我が家のリアル
我が家では、これまで敬老の日にお祝いらしいお祝いをしたことが一度もない。
理由は単純で、親がずっと元気に生活していたからだ。特別なお祝いをするタイミングも動機もないまま、ここまできてしまったのが実情。
しかし自分自身が50代になり、親も80代半ば。「世間の子供たちは親に何かしているのだろうな」「なんかやはり贈り物とかしたほうが良いのかな」と、急に不安や迷いが頭をよぎるようになったのだ。
「元気な80代」が敬老の日のお祝いを嫌がる3つの心理
世間的には「敬老の日にはプレゼントやギフトを贈りましょう」という雰囲気あるが、元気な80代にそれをそのまま当てはめると、かえって微妙な空気になる。
1. 「自分はまだお年寄りではない」という自負がある
精神的にも肉体的にも自立して元気に暮らしている80代ほど、「敬老=お年寄り扱い」とされることに抵抗感がある。「まだそんな歳じゃない」というプライドを傷つけてしまう可能性すらあるのだ。
2. 子どもにお金を使わせたくない・大げさなことが苦手
親心として「子どもや孫に無駄なお金を使わせたくない」という思いは強いだろう。高価なものや高級なギフトを贈ると、「お返しはどうしよう」と逆に気を使わせてしまいかねない。
3. 今さら照れくさい
ずっとお祝いする習慣がなかった家庭で、急に「いつもありがとう」と畏まったプレゼントを渡すと、お互いにどう反応していいか分からず、妙な照れくささが生まれてしまう。まあ、照れくさいくらいはいいのかな。。
結論:80代の親が一番喜ぶのは「物」ではなく「顔を見せること」と「ちょっとした手伝い」
世間一般の「ちゃんちゃんこ」や「高級ギフト」は我が家には必要がない。元気な80代の親にとって、一番嬉しいのは「子どもが元気な顔を見せに来てくれること」、ただそれだけ。
そして、わざわざお祝いの席を設けなくても、実家に行ったついでに「親が日頃困っていること」を少し手伝うだけで、どんな高級品よりも喜ばれるのだ。
我が家の場合はこんな感じ。
父が一番喜ぶこと:趣味の畑仕事を手伝う
うちの父親は趣味で畑仕事をしているが、重いものを運んだり広い範囲を耕したりするのは、やはり年齢とともに負担になってきている。
敬老の日だからと何かを買い与えるのではなく、「ちょっと畑手伝うよ」と一緒に外に出て作業をする。それだけで父親は本当に嬉しそうな顔をする。
母が一番喜ぶこと:風呂場掃除や高い場所の片付け
背が低い母親の場合、家の中で「手の届かない場所」がたくさんある。
特に風呂場の天井や高い棚の上の掃除、重いものの片付けなどは、80代の体には本当に一苦労だ。実家に行ったついでに「高所の電球交換」や「風呂場のゴシゴシ掃除」をサッと済ませるだけで、「本当に助かった」と心から喜んでくれる。
「敬老の日」という言葉を使わずに感謝を伝える
我が家のような感じであれば、実家に行ったり連絡を取ったりするなら、「敬老の日のお祝いに来たよ」と言う必要は全くない
- 「近くまで来たから顔を見に来た」
- 「朝晩涼しくなってきたけど、体調どう?」
- 「何か高いところの掃除とか、手伝えることある?」
このように、あくまで「日常のついで」「季節の変わり目の気遣い」として接するのが一番よい。親側も「年寄り扱いされた」と感じることなく、素直に子どもの訪問と優しさを受け入れてくれるであろう。
まとめ:50歳になった私が親と良い関係を続けるために
「今まで敬老の日を祝ってこなかった」からといって、罪悪感を持つ必要は全くない。
形だけのお祝いや高級なプレゼントを贈ることだけが親孝行ではないのだ。50代になった私ができる最高の親孝行は、親の「元気なプライド」を尊重しつつ、たまに顔を見せて日常の小さな困りごとをさらっと助けてあげることなのだ。
今年の敬老の日は、プレゼントを探す代わりに「実家の風呂掃除や高い場所の片付け」をしに、ふらっと顔を出してみてはいかがだろうか。きっと、どんなギフトよりも笑顔になってくれるはずだ。