金星の探査 やはり世界初の金星探査計画を打ち出したのはソ連だが、、、

金星探査

地球から約4200kmと太陽系のなかでは地球に最も近い惑星の金星。そのため金星探査は1960年代からソ連とアメリカが何度も行っており1970年代後半にはロシアとしても数多くの探査をしている。1990年代後半には欧州宇宙機関が2010年には日本も金星探査に成功している。

ソビエト連邦の金星探査の歴史

1957年に「世界で初めて人工衛星スプートニク1号を打ち上げ」た4年後、ソビエト連邦は1961年世界で初めて金星を探査する目的で無人の宇宙船「スプートニク7号」を打ち上げた。世界初の試みはエンジントラブルにより地球周回軌道を脱することができずやがて地球の大気圏へ突入して終了したが金星へ向けて大きな1歩となった。

その後1967年までに14回もの金星探査機の打ち上げに挑戦するがすべて成功には至らなかったが1967年10月、ついに探査機「ベネラ4号」が金星軌道に到達した。ベネラ4号は降下カプセルを金星の大気圏におとしパラシュートにより減速しながら高度約25kmまでデータを送信した。その後は金星表面に着陸したと推測される。

当時宇宙探査で世界をリードするソビエト連邦がやはり世界で初めて地球以外の惑星の探査に成功をした。

ベネラ4号の観測データにより金星の大気は窒素数%を含むほぼ二酸化炭素で覆われていることや高温であることがわかった。ちなにみ「ベネラ」とはロシア語で「金星」のことである。

その後1970年には「ベネラ7号」が世界で初めて金星に着陸して23分間ほどデータの送信を行った。その後も1975年まで複数の探査機が金星に着陸または周回もしくはフライバイするなどして調査を成功させている。

アメリカ合衆国の金星探査の歴史

1960年代にソビエト連邦が金星探査に何度も挑戦してなかなか成功に至らないなか、アメリカ合衆国は水星、金星、火星など複数の惑星探査として「マリナー計画」を遂行していた。そして1962年に打ち上げられた「マリナー2号」がソビエト連邦よりも先に金星に3400kmほどまで接近してフライバイに世界で初めて成功している。マリナー計画の2機目の探査機で成功をした。

その後1967年、1974年、1978年、1990年代と複数回の金星への接近に成功して観測をおこなっているが、着陸までには至っていない。

アメリカ合衆国の金星探査の多くは金星の大気の組成や金星表面形状などの観測となった。

金星の周りには硫酸の雲や二酸化炭素で覆われているがそのような成分、粒子の大きさなどを観測した。1978年に金星周回軌道に入った探査機「パイオニア・ビーナス・オービター」が10年以上も金星軌道上を周回しながら金星表面のデータ観測を行い金星表面の地形図を作成している。

ロシア連邦の金星探査の歴史

1978年に入るとロシアが金星探査を積極的に進める。1975年のソ連時代に金星周回軌道到達と着陸に成功したベネラ10号に次ぐベネラ11号と12号がフライバイと着陸を成功させる。その後も1984年までにベネラ16号まで次々とフライバイ、ランダー、オービターを成功させデータ送信、火星地形観測を行っている。

1985年にはベネラ機を改良してベガ1号がフライバイと着陸、2号がフライバイを成功させる。ベガ機には観測用のバルーン型探査機が搭載されており金星への投下がされると高度50kmほどのことろで重りの砂袋が切り離され、金星表面を安定浮遊した。その後は約1000km46時間ほど浮遊しながら観測データを送信したが最終的には通信が途絶えて行方はわかっていない。

ベガ機のランダーは大気・地表の観測を行いデータ収集を行った一方、ベガ機本体は金星をフライバイしたあとハレー彗星に向かって約9000kmのところまで接近し撮影を行っている。その後は太陽周回軌道に入った模様。

日本の金星探査

2010年には日本の金星探査機「あかつき」が打ち上げられたがメインエンジンの故障により金星周回軌道には入れず太陽周回軌道を浮遊することとなる。しかしその後は姿勢制御エンジンを使い2015年には金星周回軌道に到達した。

あかつきの主製造はNECスペーステクノロジー株式会社で宇宙開発のほか大型のレーダーも製造している。打ち上げ用のロケットはH-IIAロケット17号機であかつき本体の大きさは1.04 × 1.45 × 1.4 mで質量は518kgである。

あかつきの主な目的は金星の気象観測で「スーパーローテーション」と呼ばれる金星表面の大規模な高速風の観測である。スーパーローテーションは従来の気象学では説明ができない現象であるためこのメカニズムの解明はとても興味深く期待も大きい。

また赤外線による金星表面の観測、火山活動の観測や黄道光とよばれる惑星間の塵の分布も観測している。あかつきは現在も運用され金星の気象観測を行っている。

この2010年のあかつきと一緒に発射されたもう一つの探査機が「IKAROS:イカロス」である。IKAROSの名前の由来は「太陽放射で加速する惑星間凧宇宙船」という意味の「interplanetary kite-craft accelerated by radiation of the Sun」の頭字語からとっているがギリシャ神話に出てくるイカロスにちなんでいる。

IKAROSはそれまでの探査機とは違い太陽から発せられる光の分子である光子を大きな帆で受けて推進していく世界で初めての惑星間航行宇宙探査機である。原動力は太陽の光であるため太陽から遠ざかるごとにその推進力はどんどん小さくなるので、帆に太陽電池を搭載してその電力でイオンエンジンも併用するハイブリット型となった。

帆の大きさは約14mの正方形でその中心に約1.6mの円柱状の本体がある。本体は小さいがこの探査機の目的はあくまでもソーラー電力セイルの実証である。打ち上げから約半年後の12月には金星のフライバイに成功してギネス世界記録に認定されている。

今後の計画

2010年に日本の金星探査機が打ち上げられてからは金星を目的とした計画は実行されてなく、火星やほかの惑星や小惑星探査への計画が多くなっているが、ロシアやアメリカは今後も金星探査機を打ち上げる予定である。

金星探査の歴史のまとめ 

・世界に先駆けて金星探査を進めたのやはりソビエト連邦であったがなかなか成功には至らなかった。しかし結果的には金星の大気や組成のデータが取得できた。

・ソビエト連邦が苦戦するなかアメリカ合衆国の金星探査が進められ世界で初めて金星のフライバイに成功した。

・日本は2010年に金星探査機の打ち上げに成功。あかつきが周回軌道に入り、IKAROSは世界で初めてソーラー電池セイル機として金星フライバイに成功している。

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