【有人宇宙飛行の歴史】これまでに単独で成功した国は3か国だけ

有人宇宙飛行の歴史

「有人宇宙飛行」 それは人類が新たなステージへ向かうための最初のステップである。これまでに成功した国はソビエト連邦、アメリカ合衆国、中華人民共和国の3か国のみ。それぞれの国がどのような経緯で有人宇宙飛行を成功させたのか見ていこう。

有人宇宙飛行の歴史 ① ソビエト連邦

人類で初めて宇宙に行ったのは小柄な「ユーリィ・ガガーリン」

1961年4月12日9時7分、ソ連は人類で初めて有人宇宙飛行を成功させた宇宙船「ボストーク1号」を打ち上げた。ボストークとはロシア語で「東」を意味する。1957年に初めて人工衛星のロケット打ち上げに成功してから約4年後、ついに人類を宇宙へ送り込んだ。

宇宙飛行士はユーリィガガーリン。労働階級出身の宇宙飛行士であるが最終階級はソ連空軍の大佐となる人物である。

ガガーリンは金属工場の見習いとして働いたのちに、技術教育を受けるために送り込まれた学校でエアロクラブに入り飛行操縦の楽しさを学びパイロットを目指すことを決め空軍士官学校に入り、卒業後に基地に配属となった。

ソ連での宇宙開発が進むと全土から優秀な人物が候補生として招集された。その中でも厳しい宇宙飛行士の訓練に耐え得るだけの優秀な能力と耐力のあったガガーリンではあるが、当時開発していた宇宙船ボストーク1号は小さな船体であったため、宇宙飛行士候補者の中でも比較的身体の小さい158cmのガガーリンは選考に有利となったと言われている。また「ユーリィ」というロシア的な名前や労働階級出身の英雄という印象も選考に関係したと言われている。

帰還後ガガーリンは時の人となり、宣伝のために世界中を訪問していて1962年5月には日本にも来ている。

初の有人宇宙飛行時間は約1時間48分

ガガーリンを乗せて宇宙へ飛び立った宇宙船ボストーク1号は地球の周回軌道上を飛び、地球を約1周してから大気圏へ再突入。その後高度7000mのところでガガーリンが座席ごと宇宙船から飛び出しパラシュートにて地上へ帰還。打ち上げから帰還までの時間は約1時間48分であった。

帰還後に感想を話したガガーリンの有名な言葉に「地球は青かった」というものがあるが、これは正確には「空はとても暗かった。一方、地球は青みがかっていた」という言葉を残している。

そう、地球は青みがかっていて、空はとても暗かったのである。

空が暗い、つまり宇宙は暗いのだ。この言葉の意味はとても深く

無数にある星々の光を持ってしても照らしつくせないほど、宇宙は広いとも言えるが、宇宙が無限に広がっていれば無限に照らす光で宇宙は埋め尽くされ、明るくなるするはずなのに、その光が無いということは宇宙空間が有限であり、ビックバンのようなはじまりがあったということなのだ。

ボストーク計画では合計6回の有人宇宙飛行を成功

ガガーリンが初めて有人宇宙飛行を成功した宇宙船「ボストーク」は1号から6号まであり、約2年ほどの間に打ち上げられそのすべての計画が成功している。これはボストーク計画と呼ばれるもので、最長地球周回飛行記録は5号の4日と23時間7分で地球を82周している。最後の6号は女性宇宙飛行士である。

このボストーク計画の前には無人人工衛星計画であるスプートニク計画がある。

そのスプートニク計画は弾道ミサイルの技術開発を利用してロケットを作り人工衛星を飛ばすことを目的としていたが、スプートニク2号では実験として「ライカ」という名前の犬を乗せて打ち上げている。ライカは地球の周回軌道上を飛行した初めての動物となった。

またスプートニク5号では犬やネズミやさまざまな種類の植物などが乗せられて打ち上げられたが、その動物たちは皆無事に帰還している。この成功が有人宇宙飛行を目指すきっかけとなった。

そもそもなぜソ連は宇宙を目指したのか

現代は様々な国や企業が月や火星その他の惑星など宇宙を目指して開発を進めているが、その主な目的は地球環境の変化に伴う他惑星への移住や宇宙開発による利権争いやビジネス目的などである。

しかし当時のソ連が宇宙を目指した理由は主に軍備拡張を発端とするもので、冷戦下でのアメリカとの宇宙開発競争そのものであり、また世界各国・自国への科学技術発展の証明を求めたプライドの戦いが導いたものである。

ソビエト連邦 初の有人宇宙飛行のまとめ

宇宙飛行士には身長158cmの小柄なガガーリンが小さな宇宙船には適していた

初の有人宇宙飛行の時間は打ち上げから帰還まで約1時間48分だった

ソビエト連邦が宇宙を目指した理由は軍備拡張を発端としたアメリカとの宇宙開発競争だった

次は有人宇宙飛行の歴史 ② アメリカ合衆国

有人宇宙飛行の歴史 ③ 中華人民共和国へつづく

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